ケータイ小説を笑うまえに。 - Something Orange

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071128/p1

まだ読み方を知らない子供にとって、文字は、特定の意味をそなえたものではない。線であり、形である。


 だからこそ、「れ」の形が、カンガルーに似ていることに気づく。文字を文字としてしか見ることが出来ない大人には出てこない発想だろう。


 それでも、子供の言葉に素直に耳を傾ける心があるなら、その子が言っていることがわかる。

嘲笑とは見下すことであり、それ故に自己防御の快感があります。しかし、同時に他を拒絶することにもなる。高みに立って、笑ってやろうと身構えてしまえば、人の心は見えなくなります

上記は引用の引用だけど。元は北村薫『詩歌の待ち伏せ』らしい。

 何より、個々の作品がどんなに稚拙だとしても、それは、いままで読書に親しんでいなかった層に届いているという事実は無視できないものがある。


 小説とは、ただ少数の同じ価値観のもち主の間だけで回覧されていれば良いものなのだろうか? ぼくはそうは思わない。読書の庭の扉は、常に、新しい訪問者へ向けて開かれているべきである。

そもそもオタクになるような人は、自分が好きなものを貫き通した結果その道に入り込んでしまった人も多いと思うが、その初期の段階では「良いものは良い。下らないものは下らない。」という思いが強かったのでは。
でも、続けていくうちにその中で固定観念ができてくるんだろうな。
初心忘れるべからず。


ってこういう風にかってに代表するのがあかんのかw


↓関連して、上記サイトから気になった本
瀬戸口廉也復活か? 『プシュケ』。 - Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080728/p1